ねむみめも

ねむみめも

It's ineffable.

ほどく、ゆるめる、あるいは瘀血を吐き出す

誕生日の夜は、我ながら鬱陶しいところで思考が止まって面倒だった。

もやもやの多重奏をどうにか少しずつ言語化してみたら生きてる価値がないと結論付いてしまうのだが、さすがにそれをそのまま口から発するのは憚られる。

 

自己肯定感と自己効力感が地の底に届きそうなほどに低い。後者は時と場合によっては上昇するが、前者は絶望的に安定している。

この問題を、ここ数年は敢えて遠ざけていた。医師に「まずは原因を深掘りしようとしない方がいい」と言われたから。

この夏、こんなのどうしようもなかったじゃん、という遠い過去の事実が掘り起こされ、途方もない無力感とやるせなさに苛まれたのだが、今こそ問題に向きあう時なのだと言われているような気分にもなっている。

去年から抱えている身体の問題に向き合ううちに精神にも向き合える気配がしてきたところへ、否が応でも向き合わざるをえなくなる事件が起きて、しかし向き合う以前にとにかく現状への対処に奔走して疲弊した夏だった。まだそれが収束していなくて、精神が磨耗するのをどうにかなだめている。そんな中で、誕生日だった。かなしくてかなしくて、そういえば4年前も朝まで洗面所に座り込んで泣いてたんだったと思い出した。狭い家なので当然夫に見つかって、ほどなくして病院に通い始めた。あの時よりはましだけど、たぶん根底には同じものがある。

瘀血を吐き出すみたいに、心の奥底にびっしりと絡みついている問題の根源を取り除いてしまいたい。苦しさを伴うだろうけれど、ひとすじずつほどいて、ゆるめて。来年の誕生日を明るい気持ちで迎えられますように。