ねむみめも

ねむみめも

It's ineffable.

来年のテーマをふわふわと考えている

8年ほど前から、誰に言うわけでもない「今年のテーマ」を自分の中で持つようにしている。

年を経るごとに、秋頃から「来年はこれかな?」という言葉をぼんやりと探して、1〜2月頃にしっくりくるものが定まるというリズムになってきた。去年は秋になってから「今年のテーマこっちだったんだ」と気付いたのだけど、まあとにかくルールなどないのでゆるくやっています。

photo by 由貴さん

心の在り様にしっくりくる言葉を探す、それも今この瞬間だけじゃなくて来る1年に向けて、というのは、たぶんこうしてひとことにまとめた印象よりも効用が大きい。

心の中を覗いて検分してみることになるし、わけもなくいいなと思える言葉をいくつも集めるきっかけになるし、付随してやりたいことを整理することもできる。私は自分のための目標を立てて達成するのがうまくなくて、「できない」感覚にとらわれがち(短期的だったり、必要に迫られる状況に追い込めばいけるんだけどね、むずかしい)。でもテーマだと目標よりも大まかな指針になるので縛られる感覚がないのがいい。テーマからゆるゆると目標、行動に落としていくこともあれば、やりたいことをいくつか並べてみてテーマを思いつくこともある。

それから、物事が起きた後にも。ひとつひとつの出来事、反射的にへこんでしまうようなことにも自分なりの意味や繋がりを見つけやすくなって、思考のネガティブスパイラルにはまりにくくなる効果もある、気がしている。

今年の私は ゆるめる/release がテーマで、それは身体を思い切り壊してしまって筋肉をゆるめたいというのが大元にあったのだが、なんかね、まったくもって想像だにしていなかったほうからこのテーマを怒涛の勢いで後押しするようなイベントがやってきて、その瞬間は肉体的にも精神的にも辛くて必死でしかなかったけど後からふと「あれ? そういうこと?」と腑に落ちて。

しんどい事象もテーマに沿ってるなぁと思うとちょっと面白くて、自分で占いをしてるみたいな感覚。日々のゆらぎにも幾許か楽しさが宿る。これって認知機能がおおいに働いてくれてるおかげかな……(これ書いてて、もしかしていわゆる引き寄せってこれに似た仕組みかしらと思い至った。調べてみよ〜)。

毎年違うテーマを選ぶけど、ひとたび採用したテーマはなんとなく自分の中に馴染むので「来年はこのテーマは削除」とはならず、バックグラウンドにずっとある感じになります。それも結構気に入ってる。

来年は何にしようかな。いくつか候補は書き留めつつ、突然舞い込んでくることもあるからまだ余白を残してある。ちなみに、テーマとは楽しく戯れてるけど、自分のための目標を立てて達成するのはいまだにうまくありません。考え方次第のようにも思うし、最近あらためて立ち向かおうとしている自己肯定の諸々がボトルネックになっている可能性も感じています。もっと枷を解いていきたいな。

photo by 由貴さん