ねむみめも

ねむみめも

It's ineffable.

3つめの言語を学ぶにあたり(多言語学習の魅力)

いま、中国語を学んでいます。独学で、気が向いた時に、ほんの少しずつですが。

実を言えば大学の第二外国語で中国語を選択した過去はあるのだけど、当時は1ミリも興味が持てず、クラスにもおそろしいほど馴染めず、単位をとれるぎりぎりまで欠席し、試験もぎりぎりの点数でどうにかパスしておさらばしたら、試験のために覚えたことは綺麗さっぱり記憶から消え去っていました。1科目は失敗して再履修したけど、なんにせよ再履を終えれば同じ状態である。10年経って、かろうじて覚えていたのは拼音と四声の存在(存在だけ)、あと「是」と「的」くらい。

言語の字面と音、言葉に内包される文化に触れるのが好きなので、興味をそそられるコンテンツが無い状態で学ぶのは私には無理だったようです。

しかし、陳情令です。

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何を言っているのか一切わからないけどただただ中国語を聞いていたいと思う日が来るなんて。デパートの中国語アナウンス、あるいはトイレに貼ってある注意書きの文字の並びにすらわくわくするなんて、2021年10月9日までの私はまったく思いもしていなかった。人生何があるかわかりませんね。

かつて、しちめんどくさいし違いがよくわからんと思っていた拼音も四声も、ひとつひとつがちゃんと違ってかわいく思えるし、発音するたび楽しさが込み上げてくる。エンターテインメントってすごいなと心から思います。

(毎日聴いてる)(実写ドラマなのにキャラソンアルバムがあるんですよ!)

で、初めて主体的に3つめの言語を学んでいるわけですが、漢字に馴染みがあるということのほかにも、3つめだからこその面白さ、気安さがあるように感じています。

 

英語を学ぶ前には知らなかったことたち:

① (いま見ている)参考書にすべてが書き尽くされているとは限らないとわかっている

② 人間がつくってきたものなので例外はたくさんあり、そのうち慣れたら覚えられるとわかっている

③ 文法は便利なものだとわかっている

母語にない音が存在し、自分で再現できる音は脳が認識可能になるとわかっている

⑤ 文法も語彙も用途にあわせて強化すればいいとわかっている

 

こんな感じ。地味に①が効いていて、さして悩まずに「ふ〜ん、そういうもんなんだ」「ああいう場合はどうなんだろ、書いてないけど別のとこで探せばいっか」とストレスなく進んでいけるのがとても良いです。詳しいことや例外的なことはもっと上級の本になら書いてあるかもしれないし、最新の、進化している最中の言葉は書物にまだ記されていないでしょうし。

④も大きいかもしれない。英語の発音はもう馴染んでしまったけれど、知っている音に固執しなくていいんだと思い出したら、すっかり楽しくなりました。注意深く聴きとって、口の動かし方を見て、自分の発音を録音してみて修正する。ぎこちなくたって楽しい。

あとね、逆に英語を学んだ経験が仇になっているかもしれないと思ったのが、ひととおり基礎を学ぶのにかかる時間のイメージ。中高6年間かかった印象が強いけど、すごく習得したかったわけじゃないところからのスタートで、しかも週に数時間しかやってなかったんだもんね。知りたいことがある上で自分の好きなだけやれるなら、同程度のレベルに到達するのにそこまで時間かからないのかも、と気付きました。

 

まだ3つめの初歩の初歩の初歩を踏み出したばかりですが、3言語習得した人がもっと多言語に突き進む理由がすこしわかった気がする。

私が中国語の参考書を買ってきた日、夫がやけに突っかかってくるので不思議に思っていたら、どうやら「語学=かなり気合いとパワーを必要とするもの。そんなにパワーかける必要ある?」という脈絡だったようで、まあパワーかける理由もあるけど私としてはパフェを食べに出かけるのと同じくらいの遊びのひとつなんだよ!と繰り返していたらいちおう納得してくれました。ごりごりスキルアップするほど真面目にやれるわけでもないしね。ただ好きなように戯れてるのよ。そういう楽しみ方もあるのよ。

そも、今年ほんとうはまったく違う言語を学ぶつもりでいたので、そちらも諦めたくはなく。効率的ではないでしょうが、私も来年4つめに手を出すかもしれません…。

 

▼ひとりでじたばたしている様子

 

最近いちばん好きな曲はこちらです!

鬥破蒼穹

鬥破蒼穹