ねむみめも

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It's ineffable.

「陳情令」薛洋のねじれについての覚書

ドラマ1周目の頃に頭が煮詰まった勢いで書き留めていたものです。この時点で原作も読了していたので混ざっているかも。

 

薛洋、凄まじいやり方で暁星塵を踏みにじるけれど、最期の飴にも表れているように3年間ずっと復讐心だけで過ごしていたとは思えない。「正義を自負し高潔を気取る」彼を陥れ、同じところに堕ちてくるのを待つことに喜びを感じると同時に、嘘で塗り固めた自分であっても彼と笑い合える時間は幸せだったんじゃないか。心の奥底では(自覚なんてないかもしれないけれど)嘘じゃない自分でこんなふうに幸せを享受したかったと願い、嘘によって生み出された甘やかな時間を僅かでも楽しんでいる自分のことを強烈に否定していそうだ。こんなもの嘘でしかないんだって。


・嘘なしにこんな奴が俺に笑いかけるわけがない

・なぜなら、俺はこいつにとって悪だからだ

・でも善行で世が変わるなんて嘘だ

・俺がこの世で生きていくにはこうするしかなかった

・だから俺は正しい

=こいつと笑い合って幸せだと感じるのはおかしい

=徹底的に踏み躙るのが正しいし、死んだのなら傀儡にして思い通りに動かせるから好都合だ

 

……ほんとうに?

(傀儡にしようとしたのは、ただ使役するためだろうか。動き話す彼がそばにいるひとときを作り直したい気持ちがひとかけらも無かったなんて、言い切れるだろうか)


ほんのすこしでも幸せだな、楽しいな、と思った瞬間にこのかなしい論理が感情を打ちのめす。己がほんとうに望んでいることにも気付くことができない、あるいは向き合うことができない。彼は、自分の妄執によって自分の心を否定し続けることでねじり切られた存在、なんじゃなかろうか。そしてこの自己否定を補強するのが宋嵐の存在なんだと思う。嫌というほど現実に引き戻される。

「嘘は信じたのに、本当のことは信じないのか?」は暁星塵への嘲り、皮肉でありながら、薛洋の願望も反映されているように思えてきてしまう。

 

薛洋の犯したことは明確に悪だし、報いを受けて然るべき人物。でも彼が指を轢かれなければ、あるいは傷めつけられた彼に手を差し伸べる人がいれば、まったく違う方向へ羽ばたけただろうにと思う。

金光瑶は手を差し伸べてもらえたけれど、その手に素直に着いていくにはもう傷付きすぎていて、薛洋と共鳴したんだろな。

もちろん彼らと同じような傷を負っても悪に走らない人もいるのだけど、傷付けられた人たちや弱い人たちが悪に走らないで済む世界は、藍忘機と魏無羨が目指している世界に重なる。

悪をくじき弱きを救う、天灯の誓い。


と考えると陳情令ほんっっっとに良くできてる〜〜〜〜!!!いやただの個人的解釈で妄想だけど、勘違いもあるかもしれないけど、永久機関のごとくあれこれ考え込ませてくれる陳情令そして魔道祖師ありがとう…墨香铜臭老师、多謝…。

 

ねじれの中に見え隠れするものを探すのも最高なのですが、薛洋が悪に染まらず幸せに才能を開花させまくるifが読みたいです。幸せルートで魏無羨と出会ったら絶対に盟友になれるよ、うわーーん!(ただし唯一の知己の座は埋まってる)(知己とは)